アメリカでプロのダンサーになるための道16〜実際の体験記・学生時代の生活7〜アメリカダンス留学~

2月にアメリカに留学して11ヶ月、一年が過ぎようという頃です。

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日本で憧れていたダンサー

当時私にはニューヨークに憧れていた日本人の2人のダンサーがいました。

1人はダンサーTさん、もう1人はダンサーEさんです。

二人ともニューヨークの有名パフォーマンスコンテストで優勝した人でした。

Tさんの方はこのコンテストに優勝後、日本のテレビ番組に取り上げられました。

その番組を日本で見て私は彼の存在を知りました。

Eさんの方は残念ながら日本のメディアではあまり取り上げられず、日本にまで知られませんでした。

しかし私はYoutubeでTさんを見ているうちにEさんも発見し、似た活動をしている人が2人いることを知りました。

ニューヨークに留学したら絶対にこの2人に会いに行こうと思っていました。

日本で出会わなかったタイプのダンサーたち

この2人はヒップホップのダンサーでしたが、日本でヒップホップダンサーというものに興味のなかった私が大きく惹きつけられました。

踊り方、見せ方が全く違うのです。

日本のヒップホップのダンサーは自分のノリやテクニックを見せようとするのですが、この2人はダンスをストーリーのある作品として作り、そのストーリーを語る手段としてダンスを使う感じです。

つまり見ている人を楽しませることを大前提にダンスの作品を組み立てていました。

そして使う動きもノリノリのヒップホップではなくアニメーションと呼ばれるロボットやマリオネットのような不思議な動き、パントマイムなども使います。

コンテンポラリーダンスをメジャーとする私もこの2人の踊りは是非とも学んでみたいと思いました。

Tさんを探して

ニューヨークに来てすぐの頃、Tさんがクイーンズの小さいダンス学校で教えていると噂を耳にし、そこに受けに行きました。
そして言ってみるとTさんはその日はいませんでした。

なんとポップアーティストのマドンナにオーディションに呼ばれ急遽LAに行ったというのです。

そして翌週、ついにTさんに会うことができました。

そして彼がマドンナのダンサーに選ばれたという情報も知りました。

Tさんは現在日本で芸能活動をしていますが、ダンサーとしての活動はこの私が出会った頃が全盛期で凄い経歴をどんどん築いて行き、この後ハリウッド映画出演まで果たします。

その間、ニューヨークのもっと大きいダンス学校で教えるようにもなり、一年もそこで教えていなかったのですがラッキーなことに私はその期間のクラスをずっと受けることができ、珍しいテクニックをたくさん学ぶことができました。

Tさんの主演を務めるダンスカンパニー

Tさんのニューヨークの先生にAngelというダンサーがいました。

そのAngelがディレクターを務めるダンスカンパニーがあり、Tさんはそこで主演を務めるダンサー。

そこに入ることは私のニューヨークに来て最初に目指していた目標でした。

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Eさんを探して

一方Eさんの方は直接メールで連絡をとってみました。

するとクラスは教えていないけど、3人生徒を集めればクラスを教えてもいいという話になり、ニューヨークのダンサーたちに声をかけましたが誰も来てくれません。

そこで3人分の料金を払うので個人レッスンをしてくれと頼み、ようやくEさんに会い、稽古をつけてもらうことができました。

正直、かつかつの生活をしていた当時の私は個人レッスン代は死ぬ思いでしたが、行動しなければニューヨークにいる意味はありません。

Eさんはテクニックを教えるよりも作品の見せ方、演出の仕方を教えるのが得意で、作品を作って見せて、こうすると面白いというアイデアを与えてくれました。

そんな演出の方法が!?というアイデアも出してくれて、聞いているとこの人は本当に別次元の発想のできる人だなあと感嘆したものです。

聞いてみるとニューヨークの目の肥えた客の多い芝居小屋で様々な作品を披露して観客の反応を見て勉強してきたそうです。

やはり大きな努力の結果なんですね。

その後のEさん

Eさんはその5年後ぐらいでしょうか、アメリカのモンスターコンテストテレビ番組に出演して、なんと優勝してしまい世界中に名を知られます。

優勝当時世界で一番有名なダンサーだったのは間違いありません。

今ではクラスなんて教える暇がないぐらい世界中を駆け回るパフォーマーです。

世の中というのは面白いもので、メディアにこのように取り上げられる前は誰も興味がないのに、取り上げられた後は突然態度を変えます。

実際Eさんはテレビコンテストに出る以前から、優勝した時と同じクオリティのパフォーマンスをしていたのですが。

ちなみにこのEさんは本当にいい人で超多忙な今でも私の作ったダンス作品を作って送るとちゃんとチェックしてくれて、意見やアドバイスをしてくれます。

本当に今でも憧れのダンサーの1人です。

Tさんのカンパニーのオーディション

そしてニューヨーク生活11ヶ月目の年末ごろに、このTさんが主役を務めるカンパニーがオーディションを開催することになりました。

場所はあのロックフェラーセンターの中にあるジムのスタジオ、ディレクターのAngelがここで働いてるそうです。

一体Angelとは何者なんでしょうか、今は不動産業などもしていて本当に謎の多いダンサーです。

オーディションの内容

まずヒップホップ系の振り付け。

普段ヒップホップはやらない私ですが、Angelのヒップホップはアイソレーションやロボット系の動きをおしゃれに使う独特なもので、ヒップホップが好きでない私も結構好きな踊りでした。

その後ステージ系のダンサーとヒップホップ系のダンサーに分かれて即興で一人ずつ踊れとのこと。

まずステージ系からで誰からやる?と聞かれ、私は真っ先に手を上げて持っている技術をすべて披露しました。

その後はヒップホップ系のダンサーがサークルを作ってダンスバトル。

私はブレイクダンス系の技も学んでいたのでここにも飛び入りで参加、するとジャッジしていたカンパニーのダンサーたちも熱が上がって来てサークルに入って来て大騒ぎ。

以上がオーディションの内容でした。

オーディション結果

そしてクリスマスの頃、カンパニーからメールが届いてました。

「おめでとう、オーディションに合格しました。あなたをカンパニーの練習生として迎えたい。」というメールが届きました。

練習生というのは、このカンパニーはメンバーが20人ぐらいいて、そのトップ8人がメインカンパニー、そのトップメンバーが普段はパフォーマンスを行い、大きな公演やジャズ・コンテンポラリー系などのヒップホップ以外のダンサーが必要な時は残りのメンバーから選ばれる形です。

トップメンバーは大きい仕事もするのでアーティストビザが必要ですが、練習生なら学生ビザで可能でした。

まとめ

この合格メールが来た時は本当に嬉しくてその日の夜は眠れませんでした。

同時にこのアメリカ生活一年の記憶が蘇ってきました。

アメリカに来てすでに2回お金がなさすぎて飢えて、嫌な思いもたくさんしました。

しかし憧れていたダンサーにも会って学ぶことができ、そして1つ目の夢がやっと叶いました。

外では雪が降り、ベッド2つ分ほどしかないスペースの部屋で一人おもわず涙がでてきました。

これが私のアメリカ生活の一年目でした。

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