はじめに
前回働くことになったツアーカンパニー、今回は実際にアフリカツアーを行った時の話です。
アフリカ・ナイジェリアツアー
ではアメリカで作品を作り、いざ空港からアフリカに向かいます。
ドバイを経由
アフリカへは直通で行くことができず、その玄関口としてドバイを経由します。
ドバイはオイルマネーの大富豪が集まる土地でラスベガス並みのカジノ都市であり、エンターテイメント産業が発達していてサーカス系のパフォーマー・ダンサーもよく呼ばれているようです。
なんと飛行機の着陸する3分前まで一面砂漠、そこから急にビル群が見えて来て大都市になっていました。
そこで乗り換え時間があり、少し街にでて見学することもできました。
やはりイスラム教の国家らしく、女性は肌を隠しています。
肌の露出の多いアメリカ人達は気をつけろ!とあらかじめ忠告されていました。
女性パフォーマーもここではショーの際は全身黒タイツを着て踊るそうです。
そして乗り換えてアフリカに向かいました。
ナイジェリア・ラゴスへ到着
ナイジェリアの首都ラゴスはアフリカの中でも一番の大都市、私がツアーで行った2013年の12月の時点で都市別GDPでもトップに食い込んでくるほどでした。
しかしそれにはカラクリがあり、ラゴスは貧富の差が激しく貧困層は人権が与えられていないためカウントされておらず富裕層のみで計算されていたからです。
衝撃の連続
まず空港が近代化が追いついておらず、目につく機械が机の上のパソコンのみ。
その机も木の机に置かれており、何も飾り付けのない空港のターミナルでチェックインを済ませます。
空港からはライフルを持った軍人二人が同行して私達の乗る車を前後ジープで挟んで護衛していました。
無理がある車社会
途中で高速道路などにも乗ったのですが、車の数が多すぎて常に鈍足程度のスピードでしか走りません。
衝撃的なのが1つの六人乗りの車に10数人強引に乗っているのを見かけます。
ドアを開け放してしがみつくように乗っているのです。
さらにそこで物を売りに来る人たちが。
車がどんどん走る真ん中の道路を頭の上にツボや袋を乗せ、その中のパンなどを売って歩いているのです。
高速道路上です。
12月のクリスマスということでクリスマスツリーを抱えて売る人もいました。
そして車のスピードを緩めてそれを買う人たちもいるのです。
5つ星ホテルに宿泊
ホテルは呼んでくれたプロダクションがとってくれた5つ星ホテル。
部屋はなんのことはない普通の部屋でしたが、ホテルの中にカジノがあり外には海沿いに素晴らしい景色のプールが。
食事もバイキングでこれも全部カンパニーに払ってもらえるので食べ放題でした。
しかしホテルの外は危険なので勝手に外にでないようにと言われ、プールで遊ぶしかありませんでした。
お金の基準は?
ちなみに私たちが利用したサービスはすべてナイジェリアの富裕層が利用するサービスで物価も東京やニューヨークとあまり変わりませんでした。
このような生活環境は富裕層と貧困層で大きく分けられていました。
実は貧困層の物価では月収は日本円で8千円ほどが普通、それで1ヶ月の生活費も払えるのだとか。
ショーの会場へ
ホテルで宿泊して翌日ショーの会場へ。
そこは富裕層の集まるパーティー会場で、そこで様々な企業が自社の新製品を発表したりの交流イベントでした。
そのエンターテイメントの一環として私たちが呼ばれたようです。
パフォーマーは私たち以外にも世界のトップパフォーマーが数組。
私たちのグループを呼ぶだけでも飛行機代、ホテル代や護衛代にパフォーマーのギャラ、単純な経費だけで計算しても日本円で100万円は軽く越えています。
すごいお金の使い方をする世界があるものです。
パーティーの食事
パーティー会場で私たちはアメリカンフードとナイジェリアフード、どちらがいい?と聞かれ、最初はアメリカンフードと答えました。
そしてでて来たのはケンタッキーフライドチキンでした、これがアメリカンフードのイメージなんですね。
私はフライドチキン好きなので喜んで食べましたが、アメリカ人のダンサーたちは何がでてくるのか期待していたのかがっかりした様子。
するとナイジェリアフードもでてきました。
ナイジェリアフードは現地のいもや豆などでした。
アメリカ人たちはご当地料理ということで、こちらを喜んで食べていました。
私のテーブルにのみ鳥の骨が山積みになっており、ダンサーの友達に「おまえはモンスターか!」と呆れられました。
アメリカと変わらぬ富裕層の生活
このような富裕層のパーティーはアメリカでもよく見る感じ。
ステージがあり、DJが音楽を流して周りのテーブルでみんな食事や雑談をする。
私たちもステージでパフォーマンスをなんなく終えました。
このように富裕層のパーティーやその生活にはアメリカの文化が浸透していました。
このような人たちなのでアメリカズゴットタレントも見ていて私たちは呼ばれたのでしょう。
観光・貧困層の生活
ショーの後一泊して、帰りの飛行機は夜なのでそれまで街を観光させてもらえることになりました。
そこで連れて行ってくれたのが貧困層のショッピング街のようなところ。
現地で作られた民芸品などが売られています。
実は危険地帯?
護衛のライフルを持った兵隊たちがここでは警戒心を強くしていて、あまり離れるなよ!と強く念を押されました。
街の人はしっかり食べ物が手に入らないのかガリガリの骨ばった体、お腹だけがでていて栄養失調という感じの人もいました。
私たちを見ると肌の色も違うし、観光と一発でわかるので群がって物を売りつけて来ます。
値段は?
このような民芸品の小物にはに決まった値段がないらしく日本円で100円ほどで売りつけて来ます。
しかし護衛の兵隊さんたちが言うにはこれはかなりのぼったくりで、もっと値切ってやる!と言ってくれました。
アフリカのこのような人たちが8000円ほどの月収で生活できると言いましたが、それと照らし合わせる価値観で考えると100円は8000円の16分の1。
月収20万で考えると1万2500円。
小物にこの値段は確かにぼったくりだとわかります。
もはや金銭感覚がわからなくなってきました。
中にはほんものの剣なども売って来ましたが、こんなもの飛行機で持ち帰れません。
無難なところで現地の石で作られたペンダントや木彫りの人形などをお土産に買って行きました。
値段は店によって日本円で5円から100円まで変化しました。
まとめ
このように衝撃的な経験をして帰りの飛行機はドバイ、フランスで乗り換えがあり、合計19時間かけてニューヨークに帰りました。
ちなみにこの私たちが去った次の月にナイジェリアで世界中で話題になったエボラ熱が発生しました。
私たちも渡航前はマラリアの予防注射などを受けて行きましたが、アフリカはこのような病気で亡くなる方は非常に多く、簡単に行ける場所ではありません。
ダンスのパフォーマンスの印象は薄く、現地の生活の光景などが最も衝撃的な経験の1つとして記憶に残っています。
ダンスができる環境があるだけでも幸せな環境に生まれたものだと実感したものです。
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