はじめに
近年日本の教科書が改正され、聖徳太子や坂本龍馬が学校の歴史の教科書から消えていく傾向にあるそうです。
私たちが子供の頃はテストに必須というほどでてきた名前なのに、近年では重要人物とすら認識されなくなってきたのでしょうか?
今回は聖徳太子の方を調べていきたいと思います。
私たちが習った聖徳太子
私たちが子供の頃に歴史の授業で習った聖徳太子は飛鳥時代の大変優秀な政治家で「17条の憲法」「冠位12階」「遣唐使の派遣」などを行なった人物です。
聖徳太子は実在しないという説
私が子供の頃はただの都市伝説だったのですが、この聖徳太子が実は実在しなかったという説がありました。
それがどうやら事実としての確認が取れてきているようです。
それが近年教科書から消えていく理由と思われます。
聖徳太子にはもともと不可解な点がたくさんありました。
様々な伝説
聖徳太子には同時に複数の人の話を聞くことができる、未来を予測できたなど、不思議な伝説がたくさんあります。
また馬小屋で生まれたとの話もあります。
しかし考えて見るとこれらはイエス・キリストの伝説に似ています。
存在を神聖化するためにキリストの伝説を付加して創作されたのではないでしょうか。
最後がはっきりしない
また、もう1つ不可解なのが、どのような最後を遂げたのかということがどこにも明記されていないということです。
蘇我氏と敵対し、攻められて自害に追い込まれたなどの説がありますが、日本書記にはそこらへんの記述が全くないのです。
聖徳太子を創作した理由とは?
日本の歴史において日本書紀は最古の歴史書として奈良時代に成立します。
しかしこの前から歴史はあるのに歴史が記述された文献がないのも不思議な話です。
この時代に何かの都合で歴史が編纂され、それ以前の記録が消された可能性があります。
奈良時代の大きな事件
この時代の大きな事件といえば645年の大化の改新、中大兄皇子、のちの天智天皇が蘇我氏を売って実権を手にする事件。
もう1つ天智天皇の死後に起こったが壬申の乱です。
どちらも政治権力の争いですが、日本書紀の成立が720年ごろです。
つまり日本書紀は政権を取った者たちが書いた歴史書なのです。
戦争の歴史は勝者によって書き換えられる
いつの時代でもそうですが、敗者に口なしというように、歴史は勝者によって、勝者を正当化したものに書き換えられます。
戦国時代でも豊臣を裏切った徳川家康は自分を英雄として残しましたし、第二次大戦の後も敗戦国の日本は南京大虐殺や韓国の従軍慰安婦のような、しっかりとした資料もないでっち上げとも取れる罪を押し付けれられました。
それを考えると、この日本書紀の記述も、その頃の権力者を正当化するために書き換えられている可能性が高いのです。
聖徳太子の正体とは?
勝者を正当化するのに一番効果的な方法は敗者を悪人にすることです。
例えば蘇我氏はかなりの悪者として書かれていますが、聖徳太子も蘇我氏の家系の人物です。
しかし蘇我入鹿や蘇我馬子と敵対して攻められたとされています。
これがもし蘇我氏を悪人にするための作り話だとしたら。
つまり蘇我氏が実は優秀な政治家であり、聖徳太子の行なった様々な前世は彼らが行なったもの。
しかしそれを打った天智天皇を正当化するためにそれらの偉業を聖徳太子という架空の人物が行なったこととして蘇我氏をただの悪者とした、ということです。
あくまでこれは色々言われている説の1つにすぎませんが、近年では聖徳太子がこのような理由で作り上げられた人物だという説がどんどん有力になっているようです。
現在の教科書表記
現在の教科書では聖徳太子ではなく、厩戸王(聖徳太子)というように、厩戸王が聖徳太子の本名という名前ででているそうです。
この厩戸王は本当にいた人物らしく、聖徳太子の偉業を行なった人物の中ではもっとも有力視されていました。
とはいえ厩戸王と聖徳太子が同一人物だとも一概には言えないようです。
もともと聖徳太子の行なった様々な偉業は1人の人物が行なったにしては壮大すぎるので、様々な人物が行なった善政が集約されているという説が強いからです。
まとめ
このように聖徳太子という人物は創作で、その元となった人物たちの救命が行われているのが現在の研究のようです。
このまま解明されていけば、次の教科書改訂の頃には聖徳太子の名前が完全に教科書から消えるかもしれませんね。
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