ブラジルには、日系の人々が大勢生活していますよね。
では、なぜ日本人は昔、ブラジルに移民したのでしょうか?
移住の理由や歴史、よくよく考えてみれば、とっても気になりますよね。
ブラジルは日本人にとって、そんなに近い国というわけではありません。
飛行機で何時間も飛ばないと辿り付かないような土地に、なぜ日本人が移住したのか、そんな気になる疑問に答えます!
日本人がブラジルに移民した理由
ブラジルに日系の方が住むようになったそもそもの理由がどこにあるのか、まずはチェックしてみましょう。
日本人がブラジルに移民した理由は、日本人がブラジルで、良い労働力になったからです。
当時、日本で貧困に苦しんでいた国民が、出稼ぎの目的で外国に移民する例がいくつかありました。
例えば1887年にアメリカのシエラネバダに広島県民30人あまりを連れた入植が行われていたり、1889年に同じくアメリカのワシントン州に熊本県民50人を連れた入植なども行われています。
ですが、これらの試みが失敗に終わったため、1892年に当時外務大臣であった榎本武揚が「日本の資本で外国に土地を購入、あるいは借用して、移民を入植・開墾・定住させる」という論を唱えました。
そこで実施されたのが、当時コーヒー農園の労働力不足にあえいでいたブラジルへの移民だったのです。
移住の理由は、国の政策によるものであり、また貧困から逃れるためであり、さらにブラジルが労働力が欲していたため、ということが言えます。
新たに行われた取り組みにより、出稼ぎに行った日本人はその地に「定住」することとなったため、これが日系ブラジル人の始まりになったわけですね。
なぜブラジルという遠い国に日本人が大勢住んでいるのか、そこには奥の深い歴史があるのです。
日本人のブラジル移住の歴史
日本人のブラジル移住の理由は、歴史を紐解いてみると、さらに理解が深まります。
まず、なぜ移植先として当時の日本が「ブラジル」という遠く離れた国を選んだのか、というのも気になるポイントですよね。
これは、当時のブラジルでは奴隷制度が廃止され、これがきっかけで農業労働者が不足してしまったというのが大きな理由になります。
ブラジルでは、そんな労働力不足を補うために、ヨーロッパ諸国からの移民を受け入れるようになっていました。
ですが、イタリアからブラジルに移民した人々がひどい待遇を受けていたために、反乱が起こり、移民が中止されてしまったのです。
その結果、再び労働力不足になったブラジルの農業。
そこで、ブラジル政府は1892年、日本に対して移民の受け入れ表明を行ったのですね。
その結果、1905年にブラジルに対して日本の移民を募り始めました。
最初は「家族単位での移民」となっていたため、なかなか希望者が集まらなかったものの、1908年には781人が第一回の移民となり契約を行い、ブラジルに渡ったのです。
これが、日本人のブラジル移住の歴史の始まりですね。
日本人がブラジル移住後に定住した理由
日本人がブラジルに移住した理由や、その歴史は理解できたものの、その後、なぜ日本に帰国することなく定住することになったのか、というのも気になるところですね。
実は日本人に対しても、ブラジルのコーヒー農園では奴隷並みの待遇の悪さで対応していました。
そこで日本人の多くは、ストライキを起こし農園から逃亡するなどの行動を起こしました。
そうして、逃亡した多くの日本人は、それぞれに資金を出し合って共同で農地を取得し、日経農業組合「日伯産業組合」を設立したのです。
それから日本人が自作農として活躍し、さらに日本移民に向けたサービス業や医療機関なども登場してきた結果、移住した日本人はブラジルの地で定住できるまでになったというわけですね。
このように、ブラジルの日系人には、実は長い歴史があり、厳しい時代を乗り越えてきた背景があるのです。
遠く離れた国で活躍する、日系の方が大勢いる理由を、しっかり覚えておきたいですね。
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