間が空きましたがAさんの体験記の続きです。
オーディションを受け始める
住む場所も見つけ、仕事も見つけて生活が安定し、オーディションを受け始めました。
アメリカのオーディションは大きなダンスカンパニーは競争に勝ち残ってやるという緊張感でピリピリしてますが、小さなダンスカンパニーは普通のクラスを受けるような感じで慣れるとなかなか楽しめます。
審査は振り付けを踊るのが第一、第二審査とあり、大体その後に男女組みになってパートナリングがあります。
そこまでで決める所もありますが、その後即興を見せるということも多いです。
日本のダンスとアメリカのダンスの評価基準
アメリカはダンスの作品の中でダンサーの個性を見たいという振付家が多いです。
日本のダンスというのは振付家に与えられた振りを全員ピタっと揃うように踊る、テクニックも寸分狂わずコントロールするものをうまいと考えます。
しかしアメリカは与えられた振り付けにそれぞれのオリジナルの「個性」を加えてくる踊りを好みます。
そして体の使い方が多少雑でもそれは感情がこもっている、として好む振付家も多いです。
日本から最初にアメリカに来て舞台を見るとダンサーがバラバラに踊ってるように見えて驚く人も多いですが、慣れるとそれがいろんなキャラクターがいて面白いというように見えてきます。
ダンスに「うまい」の基準はない
しかし、中にはその日本人の長所であるコントロールに自分の個性を加えることができるダンサーもいて、そのような自分の長所と個性を見つけたダンサーはアメリカのダンスカンパニーでもトップで踊っています。
つまりどの人種にも踊りに長所があり、振付家も好みのが違う、うまいの基準は人それぞれなんですね。
なのでダンスに基本的にどれが一番うまいなんて決めるのは不可能でしょう。
黒人のパワフルな踊りを好む人もいれば、日本人の繊細なコントロールを好む人もいる、ビジュアル重視で白人の綺麗なダンサーばかり並べる振付家もいます。
オーディションから学ぶこと
このようにオーディションを受けると様々なことが学べます。
落ちたらどうして落ちたのだろうと考え、その悔しさが練習するモチベーションにもなります。
また振付家によってはオーディションの後になぜ落ちたのか質問すると答えてくれてどのような練習をすればいいのか答えてくれる人もいます。
しかし1つ言っておきたいのが、この質問して、もらった答えが正解かどうかも判断するのはあなた自身だということです。
自問自答を繰り返す
その言われた通りに練習すればこの落ちたカンパニーに将来合格できるかもしれません。
しかしそれが本当に自分の踊りか、自分がダンサーとしてそれを本当にしたいのか考えて見ましょう。
それが自分の目指す踊りと違うのであれば、そこに向かうのは時間の無駄です。
このようにアメリカで踊っていると自問自答して様々な踊りや振付家に出会い、ダンスに対する考え方がどんどん深まっていきます。
本当に自分の好きな踊りは何なのか、本当の自分のやりたいことはなんなのか、そんな自分探しが進んでいきます。
日本では与えられた振り付けを言われた通りにこなし、全員がダンスバトルやコンテストで優勝するダンサー、もしくはダンススクールの先生を一番凄いと考えてその1点だけをみんな目指していることが多いと思います。
そんな日本で与えられていた価値観がどんどん崩れて、周りが言うダンサーが自分にとっての一番ではないんだという考えに変わっていきました。
オーディション以外の活動
しかし、そんな答えに至るのはまだ先の話、そんな感じでオーディションになかなか受からないまま6ヶ月がすぎました。
その間にダンス学校でダンサーの友達も増え、友達と作品を作ったり、ダンス学校の先生が作品を作るからと誘われたり、なんらかの活動ができる環境ができてパフォーマンスも行っていきました。
しかし、ダンスが忙しくなると次の問題が。
仕事のゲストハウスの方があまりできなくなっていったのです。
ダンスと仕事の両立の難しさ
ダンスの活動が増えるとリハーサルが入り、時間もどんどん足りなくなります。
ゲストハウスにいれる時間も少なくなり、空いた時間で大掃除したり、Wifiを捕まえては予約表の管理をしていたのですが、ゲストハウスの仕事は2人交代制、お客さんの眼から見ると私でない方の管理人の方ばかり頑張っているように見え、それがオーナーに報告されました。
私がダンスの活動の合間に大掃除しているのを見ていたお客さんやもう1人の管理人もかばってくれたのですが、オーナーにその融通は利かず、でていってくれと言われてしまいました。
そして同じ時期に弁当屋のバイトも店長が突然「今週で店を閉めることにした」と行って来ました。
弁当屋も競争が激しく、私の働いていた弁当屋はオーガニックな弁当を売りにしていたのですが、競争相手の弁当屋に比べて売り上げが上がらず、閉店となり、店長は店をたたんで日本に帰ることにしたそうです。
最後に
こんなわけでダンスの活動の基盤もできてきた矢先、住む場所と仕事の両方を同時に失いました。
ここからがニューヨークに来て死ぬかと思った2回目の経験になります。
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