モダンダンスとは
形の決まったバレエを否定し、それを崩すことで生まれたモダンダンス、日本でも海外で学び、日本で教えた人々により広まっています。
日本で広まるモダンダンスは、マーサ・グラハムによるグラハムテクニック、ニューヨークに学校のあるアルヴィン・エイリー・ダンススクールで教えられるホートンテクニックなどが有名です。
そのため日本人にもマーサ・グラハム、アルヴィン・エイリーは知られています。
実はこのようなグラハム、ホートンはモダンダンスの歴史の第3世代以降の人たちであり、それよりさらに前から始めた人たちがいました。
そしてその人たちの考え方は現代人にも考えてみてほしい、ルールに縛られた世の中への反発の声でもありました。
モダンダンスの先駆者達
モダンダンスを最初に広めた第一人者で有名なのがイサドラ・ダンカン、セント・デニス、ロイ・フラーなど、この人たちはみんなアメリカ生まれです。
当時のダンス界はヨーロッパでバレエなどの伝統的なものが力を持ち、新天地であったアメリカの方が独自の新しいものが生まれやすかったのでしょう。
モダンダンスの母、イサドラ・ダンカン
中でも私が大きく人生に影響を受けたダンサーがイサドラ・ダンカンです。
私は日本でグラハム、ホートンテクニックを学び、アメリカにダンス留学しましたが、イサドラ・ダンカンはよく知りませんでした。
ニューヨークで片っ端からオーディションを受けていた時期にこのイサドラ・ダンカン直系の弟子によるダンスカンパニーのオーディションに合格し、そのコミュニティに入っていくことになったのです。
イサドラの経歴
1977年生まれ、1927年没、サンフランシコで生まれ踊りを学ぶためにニューヨークに渡りました。
彼女は音楽の中で自分の中から生まれる情熱で体が自然に動き、その動きに自分の感覚を委ねることで踊りだしたと言います。
そんな中で形やルールが決まっていて特定の体つきのタイプの人にのみ向いている踊りであるバレエに疑問を持ちました。
その後ロンドンに渡り、ギリシャ芸術を学ぶ中から自分の好む独自の世界観を広げていき、自らの踊りを作り上げました。
これがモダンダンスの始まりとなります。
その後、彼女はニューヨーク、パリ、モスクワなど様々な場所に自分の学校を設立し、自分の踊りを教えたため今でも世界中に直系の弟子達がいます。
形より思想の先駆者
このようにイサドラ・ダンカンの生み出したダンカンテクニック、イサドラの天性の感覚だからこそ踊れるものであり、彼女独自の表現から生まれたダンスであるため、彼女だけが踊ることができた踊りであるとも言えます。
そのため彼女のレベルでその踊りを踊るダンサーは現れなかったと言います。
しかし、このようなダンスの内面表現の重要性や自らの踊りを見つけようとする思想や姿勢はその後の様々なダンサー、アーティストに影響を与えました。
画家や詩人達も彼女の考えに興味を持ち、それを学びにダンスクラスに足を運んだといいます。
その後も自分の踊りを模索し、自分のテクニックを作り出すダンサーがどんどん現れ、様々なモダンダンステクニックが生まれました。
このダンサー達もイサドラの踊りを学ぶことはなかったとしても、その思想の影響を受けていたのではないでしょうか。
今でもヒップホップなどのダンスまでジャンルを問わずトップで踊るダンサー達はこの自分の踊りを模索し、完成させることは人生の課題となっています。
現在のダンカンスタイル
アメリカ・ヨーロッパでは今でもその直系の弟子達が、その踊りや教えを引き継いでいます。
現在はWeb上でその弟子達によって記録されたイサドラ・ダンカンアーカイブというものがあり、このイサドラ・ダンカンの踊りを引き継ぎ、功績を残した人たちが記録されています。
ありがたいことに私も登録していただくことができました。
ちなみにイサドラから数えて私は第4世代のダンサー、カンパニーのディレクターは第3世代で、ディレクターの先生はイサドラの実の姪っ子だったそうです。
自由な発想のダンカンテクニック
それまで男性の弟子もいたとはいえ、ほとんど女性によって踊られていたダンカンテクニックの歴史の中で男性を使うということはダンスカンパニーにとっても新しい試みだったようです。
しかしイサドラの考えやその動きの生まれた経緯を学ぶうちに特に性別は関係ないのではという印象を受けました。
クラスはバレエがダンスのメインであった当時の背景もあり、バレエのようにバーレッスンから始まります。
バレエのようにプリエから始まり、体幹を鍛えるトレーニングの仕方は似ているのですが、腕の使い方などはバレエのルールを壊して、それ以外の美しく見える位置を模索しているように様々な選択肢があります。
その後裸足で踊る踊りのため、タンジュやバットマンなども大きくやり方が異なり、バレエのアラベスクに近いポーズとして、腕を空に向かって伸ばし、上半身を後ろに沿ってバランスをとるフライバックというポジションもありました。
踊りになるとギリシャ彫刻からヒントを得たのであろう形が様々に取り入れられ、バレエのように足や腕の角度がすべてのルールが決まっているのではなく、ダンサーそれぞれの自分の感覚で綺麗と思う姿勢をとりなさいという自由な選択肢のある表現方法でした。
そのため私が踊る時も男性ならこうした方が良い形になるのではないかという自分の発想を取り入れることも許され、自分なりの男性のテクニックを勝手に作ってクラスの中で自分はこう、と動きやポーズを変えて練習していました。
その結果ニューヨークのダンスレビューに高評価をいただき、コミュニティに貢献させていただくことができました。
アートの世界はどこもこのように過去に作られた良いものを残す人と過去のルールを壊して新しいものを作り上げていく人たちの両方で作り上げられていっています。
私にとってもダンカンダンスは私の踊りの答えではなく通り道の1つでしたが、大変良い経験をさせていただき、学ばせていただきました。
まとめ
以上のようにモダンダンスの先駆者イサドラ・ダンカンはクラシックバレエによって踊りのルールが決められていた当時のダンス界で自分自身の表現であるはずのダンスの本来の意味を体現し、その形を示した第一人者とも言えます。
現代では多くのダンサーがすでに誰かによって作られたダンスを学び、その誰かが作ったルールの中で技術を競うことに夢中になっています。
しかしそれは本当に自分の体、好みにあった自分の答えとなる踊りでしょうか?
これはダンスに限らず生活のすべてに言えることで、世の中の多くの人が高収入な仕事や知名度を得ることが世の中での成功だと先入観を植え付けれています。
しかしそのようなゴールを目指すことが本当にあなたの人生の答えでしょうか?
人それぞれ好みがあり、人それぞれ違う才能がある、人間とはそういうみんな違うもののはずです。
モダンダンスの先駆者達の示したように、自分の好み、自分の才能の使い道に気づくことが人生を謳歌する一番の道ではないでしょうか。
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