はじめに
私がフルタイムのダンスカンパニーのオーディションに受かるのに大きく影響したものとして、自分のダンスビデオがあります。
ではそれを使ってどのようにオーディションに合格したか、その実体験です。
ダンスビデオの作成
これは最初からダンスビデオを作ろうと思っていたのではなく、自分の練習の一環として自分で振りを作る、または即興で踊って自分がどう見えているか、どう踊ったら良く見えるのかを研究していました。
そのような中から自分が最もうまく見せれる動き、特徴となる動きがわかってきて、それらの情報をまとめるために自分の得意な動きを集めたビデオクリップを作りました。
そしてこれが自分のプロモーションに使えないかと考え、このビデオをアメリカの様々なフルタイムのダンスカンパニーに送りました。
そのうち2件から返信があり、実際にオーディションしたいので来てくれと言われました。
ニューヨーク以外の州の方がフルタイムのダンスカンパニーに入りやすい
アメリカというのはニューヨーク以外にペンシルバニア、オハイオ、テキスト、シカゴ、シアトルなど様々な大都市があり、大きな街であれば大体ダンスという文化がありますし、そういう町の方がニューヨークほど大きいダンスカンパニーの数も少なく、ダンスカンパニー同士の争いが少ないので1つのダンスカンパニーが大きくなります。
必然的にスポンサーも1箇所に集中するので財力も集まり、安定したダンスカンパニーが運営できます。
しかしプロを目指すダンサーはロサンゼルスやニューヨークという2大都会に集まりやすく、地方の都会にはダンサーが集まりにくい。
なので地方のフルタイムのダンスカンパニーのほうが入りやすいし、入った後も給料がしっかりしています。
しかもフルタイムのダンスカンパニーに入ればプロのダンサーの間でのコネもできますので、ニューヨークのダンスカンパニーにも入りやすくなります。
ビデオで返信のあったカンパニー
私が返事をもらったカンパニーも1つはニュージャージー州、もう1つはサンフランシスコでした。
世界の有名ダンスカンパニーはニューヨーク、フランスのパリ、ドイツのベルリンなどにありますが、このようなカンパニーは連日世界中のダンサーからアプリケーションが送られてくるので、ビデオを送っても見てもらえないでしょう。
フルタイムカンパニーのオーディション
私はニューヨークに住んでいましたので近場のニュージャージーのオーディションの方に行きました。
そのカンパニーはコンテンポラリーバレエのカンパニーでニュージャージー州の西の端の方でバスでニューヨークから2時間、小さな町でしたが、裕福な人が多く住んでいて、周りにライバルになるようなダンス教室もないため、ビジネス的に成功してフルタイムのダンスカンパニーの運営を可能にしていました。
オーディションの内容
オーディションはプライベートオーディションですので自分一人。
団体のオーディションというのはたくさんのダンサーが同時に踊るので運が悪いと審査員がこっちを見てもくれずに落とされることがあるのですが、プライベートオーディションは何をしても見てもらえるので、こんなチャンスはありません。
スタジオに入るなり、ウォームアップしてくれと言われ、準備ができたらディレクターを呼ぶよう言われました。
そしてディレクターを呼び、最初に言われたのは曲をかけるので踊ってくれ、でした。
振りも何もなく、自分の踊りを見せろということです。
私はこのカンパニーがコンテンポラリーバレエのカンパニーでありながら、全くバレエと関係のない自分の得意なコンテンポラリーとブレイクダンスを組み合わせた踊りを披露しました。
好みの合うカンパニーと出会う
そして踊った後、ディレクターは非常に面白いと言ってくれました。
実はこのディレクター、バレエダンサーでしたが、ブレイクダンスがニューヨークで生まれた当時、最初にそれを始めたダンサーの一人だったそうです。
ブレイクダンスが世界に知られるきっかけとなった映画「ビートストリート」にも出演していました。
ブレイクダンサーでしたが、当時男性の少なかったバレエの世界からも誘われ、バレエも学ぶようになってそちらでプロになり現在に至ったそうです。
そんなディレクターのバックグラウンドから、私のブレイクダンスとコンテンポラリーを組み合わせた踊りをビデオで見た時非常に印象的でオーディションしたいと思ってくれたそうです。
フルタイム契約
この後バレエの技術も少し見せてから事務所に呼ばれて面接。
そこで具体的な契約内容を説明されて「Welcome to company.」と言われました。
オーディション合格ということです。
この時のニューヨーク生活は5年目、ここで突然フルタイムのダンスカンパニーに入るという夢が叶ったのです。
まとめ
この日から私の生活は一変しました。
ニューヨークでギリギリの生活で練習を積み重ねる毎日からニュージャージーで週6日ダンス漬けで食べていける生活に変わっていきました。
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